地域のチカラで、夢をカタチに!   民主党  どうきゅう誠一郎


by seiichiro_dokyu
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高邑勉議員の決意

同僚議員の一人、いつも元気に現場で頑張っている高邑議員が6月4日に来月予定されている山口県知事選挙への立候補を表明しました。皆さんに彼を知って頂く為に彼のブログを引用させて頂きます。



「ふるさと山口の皆さまへ~山口県知事選への決意」

●東日本大震災の被災地から~私の政治活動の原点と問題意識

衆議院議員として国会に送り出して頂きましてから、はや3年が経過しようとしています。これまでの私の政治活動に対し、ご理解とご支援を賜りました皆様に、感謝申し上げます。
昨年の東日本大震災後の一年間は、福島県を中心に被災地に通い続けました。地元山口では、「福島に行ったきり帰ってこん」とお叱り頂くこともあり、日々の活動に対して反省することもございます。しかし、3年前の夏、ふるさと山口・防府を襲った集中豪雨災害の中で産声を挙げた私の政治活動の原点が、まさに「目の前で困っている人を救えずして何の政治か」ということにあり、被災地を見て止むにやまれぬ思いであることをご理解賜れば幸いに存じます。

歴史の因縁でしょうか。通い続けた福島県南相馬市で、過酷な状況下に孤立無援になりながらも踏みとどまり、力強く人々を導いてこられた桜井勝延市長に出会いました。また、事故原発付近の畜産家の方々の「生業」への誇りや、動物たちへの限りない愛情は、現代人が忘れかけていた自然への畏れや命への感謝など、貴重な「啓示」を与えて下さっていることに気付きました。そして、今もなお、復興に向けて懸命の努力を続ける現地の人々の営みは、私の今後の政治家としての生き方に多くの示唆を与えるものでした。政治は、決して政局や権力闘争ではなく、「困っている人々に、希望を与えるもの」でなくてはならない、と思います。混沌とした時代にあって、困難な状況であるからこそ、人々を勇気付け、希望を指し示していくことこそ、それぞれの地域の政治家・リーダーの使命ではないでしょうか。
 
 「工場が流され、仕事がなくなり、若者が町から出て行ってしまった――」と、被災地の市長さんは嘆いておられます。しかし、それはなにも被災地に限りません。今、少子高齢化、産業の空洞化が進みつつある、我がふるさと山口も、「非常事態」という認識を持たなくてはなりません。「維新胎動の地」として、歴史と誇りある山口県の偉業を成し遂げた先人たちは、時代の転換点にあたって何を思い、どう行動したのか――。私たち政治を志した若者の果たすべき役割とは何か、自問する日々を送って参りました。東北に身をおきながら、ふるさとの未来を憂う気持ちが募っていきました。

 3月になって、どうしても許せないことがありました。東北の震災がれきの受け入れの件です。防府市が受け入れを表明しながらも、我がふるさとは「国」との曖昧な関わりの中で、すべき「決断」を回避し続けてきました。「がんばろう日本」「たちあがれ東北」「絆」等というスローガンは、口先だけだったのでしょうか。私は、そうは思いたくありません。「先例主議」「他県追随」という政治文化の中では、困難な課題こそ、リーダーの決断が必要なのです。国会で環境委員として、震災がれきの処理に取り組んできた議員として、我がふるさと山口が、被災地の困窮、必死の訴えに対して「見てみぬふり」をしていることに、情けなく、恥ずかしい思いをしています。いつからこうなってしまったのでしょうか。日々、街頭に立って訴え続けるなかで、この思いは私だけではないと、確信するに至りました。

●「晋作プロジェクト~俺たちの維新」からの出馬要請を受けて

 7.12告示、7.29投開票を迎える山口県知事選に際して、私は現職の民主党所属国会議員として、一貫して「県民の皆さんに選択肢をお示しすることが公党としての使命である」と主張してきました。最終的に党県連主導の擁立は実現せず、公党としての存在意義と、選択肢を示せない政治家の責任が問われています。私も、自らの判断で、今日まで擁立に向けて数名の方に打診し、説得を繰り返してきました。しかし、力及ばず、どなたにも立候補を決意して頂くには到りませんでした。
しかし、いまだに候補擁立への県民の皆さんから寄せられる期待と失望の声が大きいことを、街頭でも感じています。このまま無選挙もしくは極めて限られた選択肢しかない選挙に突入することを良しとするほど、山口県の置かれた状況は楽観視できないと思っています。日本と、山口県の将来を憂う県民の一人として、政治家の都合ではなく、県民起点の政策を掲げて選択肢をお示しすることで県民の皆さんのご期待に応えなくてはならない、との思いは変わっていません。
 
 そうしている時、伊藤央氏から、「国に貢献し、国をリードする山口県にするために、しがらみを断ち切って行動する若者の決起が必要だ」と、光栄にも出馬の要請を頂きました。氏と私の問題意識も、考え方も、国と地方や国民の在り様に関する方向性も、まったく一致していました。違うのは、所属する、もしくは所属していた「政党」という立場だけだったのです。
3年前の夏、防府JCの仲間として、防府市小野の豪雨災害の真っただ中で、ともにスコップを握った伊藤先輩からの呼びかけは、私の心に深く突き刺さりました。先輩のお申し出に対し、「ここで見て見ぬふりをして、この熱い思いを無にすることがあっては、自分は例え国会議員でいられたとしても、政治家として存在価値はない。男としていられない――」と思うに到りました。

 さりとて、方針が違うとはいえ、所属組織や支援団体にご迷惑をお掛けすることは本意ではありません。それゆえ、5月31日をもって、民主党山口県連の顧問を辞任する旨、申し出させて頂きました。事実、党、県連のしかるべき立場の方と、自身の出馬も含めた意見交換を重ねてきましたが方針の違いは埋まらず、責任ある立場の一人としてけじめをつけさせて頂くと同時に、やむにやまれぬ思いで、山口県を覆う閉そく感を打破する為に、私自身が県民の皆さんに選択肢を示すことを決断しました。

「維新」という言葉が持て囃されていますが、「日々維れ、新たなり」、つまり、たえざる創造によってのみ、真の維新は成し遂げられるのではないでしょうか。今、山口県にとって、子供たちの将来にとって、「何もしないことが最大のリスク」であると思います。地方独自のチャレンジよりも、いつまでも「親方日の丸」を頼みとする官僚主導主義から決別し、県民一人一人が独立自尊の気概を持たずして、本当の地方分権=地域の自立は成し遂げられません。

来たるべき知事選挙は、山口県の将来、子供たちの為に、しがらみを断ち切り、まさに党派を超えて、対立から創造へ、県民総参加の政治を実現することこそが「大義」であると確信しています。

「白猫でも黒猫でも、ネズミを獲る猫はいい猫だ」という言葉があります。政治家は、国や地域の為に、仕事をするために存在しているはずです。決して、政党や、自らの立場を守る為にあるのではありません。過去を語らず、未来を語ろうではありませんか。

私は間もなく、「脱藩」し、浪人になります。維新の偉業を成した山口県に生まれ育った若者として、誇りと使命を忘れることなく、決起したいと思います。しがらみに捉われず、山口県の未来の為に、再び「奇兵隊」となって立ち上がる人々とともに、「もう、やるしかないのう」との思いで戦い抜く所存です。


                 平成24年6月4日
     “決断と行動~未来への責任”
             衆議院議員 たかむら勉
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by seiichiro_dokyu | 2012-06-07 23:39